(養魚場探訪記)金魚の本物に聞く 矢作雄一氏② 

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その②↓



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「ランチュウ家は、稚魚をハネる時(選別)は、全く躊躇しません。それは、大きいランチュウでも同じです。何とも思いません。平気です。」 (矢作氏) 


矢作氏の目が変わった。 職人の目だ。
このとき、氏の声のトーンが変わったように感じた。

ランチュウ作りに究極を求めることは、多くの命を犠牲にする。善悪とかそういった道徳観だけでは計れないものがある。

《余談: 理解するためランチュウ作りを芸能界に例えてみた。そうすると、ランチュウ家は、例えば仮に、RCU48(ランチュウ48)というアイドルグループを世に送り出すプロデュ―サーみたいなものだろう。 育成所でたくさんの中から、才能ある逸材を選び抜き、その他は容赦なく落とす。そして、大舞台に上げるため自分の思い描くアイドルに育てあげ、ドーンと世に送る。しかし、売れなくなれば平気で捨てる。そうしなければならないプロの世界の非情さと共通するかもしれない。》

そして、直後に矢作氏からでた言葉・・・・



 「ランチュウは生き物ではない」(矢作氏)



ついに矢作氏の中の「鬼神」と出会えた。

開始から2時間、今回の取材で一番印象深く、そして最も惹かれた言葉。

「ランチュウとは何か?」という答えの一つが、この言葉の中に詰まっている。
活字で書くと残忍な印象に感じてしまうのが残念だが、けしてそうではない。


ランチュウは「物」・・・・・

すなわちランチュウという生き物を「生き物」として見てしまうと、人間としての情が出てしまい、稚魚をハネる時、判断が甘くなってしまう、そうなってしまうと、最終的には形が甘いランチュウになってしまうのだ。


人を引き付ける究極のランチュウは、それでは生まれない。


2000匹稚魚が孵化しても、最終的には1990匹は殺される。選別の厳しさが 「矢作ランチュウ」というブランド、否、芸術作品を生みだし続け、人々を引き付けるのであろう。

それでなければ、人を惹きつけるものは絶対にできない。


何かを極めるためには、心を鬼にしなければならないことがある。

悩み、苦しみながら、試行錯誤の結果、あの何ともいえない究極の美が生み出されているのである。

普段は、優しい矢作さんでも・・・・。



《 嗚呼、嘆かわしや らんちゅうたち

君たちは 人間たちによって金魚の王様として君臨し、最高級の金魚となった。

しかし、その代償に、生まれながらにして 「生」を否定されているのだよ 

君たちは 生まれた時から 「物」 なのだ。 どうか気づくことなかれ 》



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私は、また自分の制作姿勢について新しい感覚を得た。今回の矢作氏にお話しをお聞きして本当に勉強になった。

思ってみれば、我々人間社会も、ランチュウと同じではないか。 人間を選別したり、逆に選別されたりして、人間がハネられている。


選ばれたエリートの影に、多くのハネられた人間たちがいる。ハネモノならぬハネ者だ。
でも、この人間社会は、ハネ者の方が圧倒的に多い。ハネ者が形成する社会ともいえるであろう。


ハネられたランチュウは殺されるが、ハネられた人間は、ずっと生きなければならない。
そういう意味では、ランチュウの方が幸せなのかもしれない。




ハネ金魚という存在とエリート金魚という存在、両方ともあるべき存在。

私は、この両方を作品で表現しなければならない義務がある。

私は思う、もしハネられた金魚たちに美術的価値を与えることができるのなら。

もしかすると、ハネられたものを価値あるものにできるのは芸術家の唯一の仕事なのかもしれない。



帰りの車の中で、矢作氏に言われたことを何度も思い出し考えていた。
これから僕が進むべき方向がぼんやりと見えてきたように思えて、笑みがこぼれた。



■まとめ
 
 という感じで、本っ当に楽しい矢作氏との会談でした。一時間ほど、と言っていたのに、気づいたら2時間くらい経ってしまっていました(ゲッ!保育園へお迎えの時間!) 
会談後、生まれたての稚魚や卵を見せていただいた。そして、素晴らしきランチュウたちも。

今回、私の突然の訪問にも関わらず、真摯に対応していただいた矢作雄一氏に心から感謝いたします。誠に、誠に!ありがとうございました!

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深堀隆介
Riusuke Fukahori